今日も今日とて少しずつ
■応用情報
勉強方法を調べてみたのですが、午前の問題がほぼ使いまわしだからか
過去問解け!のなんと多いことか。
過去問もずっとやっていれば確かに覚えそうだが。。。うーん
そして今日も過去問を解いてみたが良く解らなかった。
考える脳がイケてない気がする。
例えてみると、犬の散歩をしているときに、自分が進みたい方向に犬が進まない感じ。(全然分からない)
脳が、「この挑戦の仕方じゃやる気おきねー」といっているような…
pip freeze(インストールしてあるものの一覧を作る)と、その一覧を活かして
統一した環境を作れるよ、というところまで実施。
あとはAnacondaの基礎知識とか・・Anacondaさんはラーメンでいくと全部乗せなんですね?
■手段を目標に?
良く言われるフレーズで「手段を目標にしちゃいけない」というのがあります。
例えば勉強するという手段が目標になってしまっていて
何のために(どうなりたいために)勉強するというのがわからないとかそんな感じだと思います。
これ、自己研鑽だとすごい賛否ある内容だと思います。(※1)
私は多分否定派です。
なぜならば目標を見出すことに固執してしまって身動きが取れずにになる可能性が
あるからです。
自分がどうなりたいかを知ることは大事ですが、それにとらわれて何もできなくなってしまっては本末転倒です。
とりあえず動いていることがやがて何かに繋がっていくこともあると思うので
私はこの考えに否定的なのです。
(考え方に対しては否定的ですが、目標を持ってそれに邁進している人は
尊敬しています。その考えを持つ人に対して否定的というわけでは無く
私自身がそうなりたいか、という話において否定的ということです)
で、なんで表題かというと、今はかなり先が見えない状況なので
目標に向かってなにかやろう!としたときに心が折れることもあると思うのですね。
でも何もやらないとモヤモヤする。そんなときはとりあえず1分でも3分でも
なんとなく手を動かしていて、頭に入らなくても
ちょっとはやったよね、をぽちぽち続けていく、でもよいと思うのです。
甘いかな?
甘いのかもしれないですけど、自分が活き易い状況を作るのって大事じゃないですかね。。ねますやー
※1:自己研鑽においては賛否両論でいいと思いますが
テストというお仕事についてだと、テストするという手段を目的にするよりは
何が目的かを解っていた方がいいなーとかは思います。話を混同していてすみません。