突然ですが振り返ってみます。
■なんでこのブログを始めたか
あれは2019年5月のことじゃった………(普通に忘れている)
勉強の記録を付けようとしたのは間違いないんですが
当初はなんか、もっとこう色々考えていたような気もします。
勉強した内容をまとめられたらいいなあとか(即頓挫)
記録を残さないと忘れるので記録をつけたいなとか色々な気持ちが入り混じって始めたはず。
始めるするときに、自分と同い年くらいの人の、のほほんとしたブログを読んで
内容がつまらなくても、失敗してもそんなに大したことにはならないし
始めればいいじゃないか的なことが書いてあって感銘を受けたのだけはすごい覚えている
(だがそのブログを今見つけることはできないのであった)
■このブログをやっていて何が良かったか
迷い・がんばらない・ネガティブ・サボりを記録できていることです。
人が記憶するとき、細かいネガティブな部分って切り落とされまくって
ポジティブーなところだけ(脳が思い出してうれしいところだけ?)残るような気がします。
でも私はネガティブな部分を切り落として過去の自分を
「この頃の自分すげーがんばってたな超人だわ」と覚えているのはすごく嫌だったのです。
変な話をしますが「これをやったぜ」な結果がどこかで発信されているとします。
それに対して「すごいなぁ」と私は思ったりします。
その反面で、「自分にはできない」というネガな気持ちがどこかで生まれたりします。
それって、その「これをやったぜ」の裏にあるネガな気持ちや苦労を丸無視していると思うのです。
「すごいなぁ」という気持ちがすごいと思っている対象の多面性をマスクしてしまう。
そんなのが嫌なので、私は「そうじゃねーそうじゃねーめっちゃサボってるし向上心も高くない」をずっと記録し続けているのです。
直近でいうとALTAの勉強なんかがそうです。
勉強方法ふりかえりの記事だけだとすげー勉強したなぁに見え…見えない?!
いや見えるかもしれませんが(見える仮定で話を進めます)
去年の10~12月くらいまで遡って見てみると
1日5分しか勉強してないとか4日連続勉強さぼったりとか(そもそも土日は
全然勉強していなかった)理解度も全然足りず、ひどいものでした。
というか1月半ばくらいまで理解度でいったら全然だったと思います。
そんな感じでも、毎日万全じゃなくても、がんばらなくてもがんばれるよ
を記録していくことが今がんばれない自分の励みになるんじゃないかな
と思い、今日も全然推敲していない文を書き殴るのです。
■がんばれないPythonのべんきょ
がんばれなくても続けることだなと。。。
今日は機械学習以外のデータ分析の方法を勉強しました。
AIでなんとかしようといわれることの大半がこの機械学習以外の方法(ifで実装や統計)で
いい気もしますね。。。そういう手法の見極めも含めてデータ分析エンジニャーなのかもですね。