私は自分が「QAじゃない」ということをずっと言いたくて(言ってるけど)
でも何となく言いづらさを感じていて、その言いづらさが何かを語りにくくしている
原因なのではないかと考えています。
QAはテストだけをするのではない、ならば私はQAではない。
これを言おうとするたびに「これを言うとQAだけど業務がテストだけの人が悩むのでは」
と考えて書くのを止めていました。
この「QAはテストだけをするのではない」は、よくQAな登壇で語られますが
これをQAとして入社した人が「自分はテストしかしていないからQAじゃないんじゃ」
と思う必要は無いと思っています。
「テストだけをするのではない」の意味は
「テストするそもそもの目的を考慮せずテスト遂行だけを考える」
という考え方を否定する意味であって
働く内容としての「テストだけをしている」を否定する文脈ではない、と思います。
QAという仕事の内容は会社の数だけあって
・品質を包括して担当している方
・自動化を主な生業にしている方(広義ではSETと言いそうですが多分会社によってはSETを定義せずにQAが自動化を担当しているとかもあるのではと妄想)
・自動化ではないテストを担当している方
一概に定義せず、その会社がQAを設けている目的に沿っていればよいのではと思うのです。
むしろ定義に縛られるとよほどきちんとした目的が無い限り実際に求められているものとの軋轢を生みそうです。
(QAの役目から定義してね!とかいう生まれたての組織ならその限りではないかもです)
「私はQAじゃないよ」を言いたい理由は
私が実際にQAという職位ではない、のと
テスト=QAだけがするもの、と連想されるのをQAではない職位から「いや違うよ」と
思っているからっぽいです。
「私はQAじゃないよ」を言えない理由は
私をQAと思っている人の期待のようなものを裏切るから?と思っているのかもです。
私は同じ立場じゃないと表明することを否定的にとらえられると思っているようです。
この「私がQAじゃないよ」の言いづらさの原因はなにか。
①私はQAしか「テスト」を、「品質」を、語ってはいけないように見えているのかもしれません。
②私は「品質」に興味ない人が「テスト」を語ってはいけないように見えているのかもしれません。
私の気のせいである可能性が99.9%のこの2点。どちらも気のせいであってほしい。
どんな立場の人も、気軽にテストのことでも品質のことでも話せて
べき論にしばられないような。
「えっ品質に興味とかないの、、おまえそれでもテストできるの?」みたいな空気もナシで
ひたすらな自由を自分は求めているのかもしれません。