私は迷いの中にいる

毎日眠気しかない謎の深海魚の一言日記

モチベーションが死んでいても

・・・
あと使える時間は大体6日くらいとなった。決勝のcompassも公開されて
私の成果物だけがしんでいる状態。
解決に繋がらないので掘り下げないでここまで来たけど
・テストケースの動機が破綻している
・ステークホルダ(使う側)が見えなくなってしまった
・意外と共通で揃えられない
この辺がつらみかなあ。あとは全部見きれなかったところとか。

一応自動化に向く・・・まではかなりやけくそで実装した。
難しいなあと思ったのはテスト結果の観測。あとは、多分テストする人がどこまで慣れているか?がちょっと見えていない。
詳しく書きすぎると使い回しがきかなくなるというのと、詳しく書かないとどうやって実施するかの再現性がとれないというところの狭間にはまってしまっている。
本当に自動化するのなら、手順も結果も曖昧ではできない。
だから多分テスト手順が「これだけ実施すれば後は任意で~」とかテスト結果が「これだけ確認すればいいや~」になっているのは、やがて自動化を考える上では破綻しているのだと思う。
ねますや

🍊

・未完成
今日はとりあえずだいぶ取っ散らかったID付けとか自動化とか
破綻しているテストケースをそのまま破綻させたままにしたり畳んだりとかをした。
予選でいけばそろそろ5月に入った頃で、もはや畳むくらいしか出来なさそう(畳めたらまだマシ)
通化かあ。。
厳密に言うと共通化と影響分析はまた別な気がしてきた。
全く作りが違っても影響しないところもあるし、共通でも別の作りのところもある。

あと私はテストの意図が本当にわかってない。
特に機能テストだと「出来ること」に終始してしまって、その出来る事がユーザの要求の何に繋がっているかがもやもやしている。
多分本当は決勝でそこをなんとかしなければならなかった。(できてないけど)

決勝で失敗してもいいのだろうか。いつもそればかり頭をよぎる。
ねますや

破綻の開拓者たち

・・・

実装が終わらない。実装が終わらないというか、この実装を終わらせて何が嬉しいんだ
という気持ちが障壁になって全く進まない(無理やり書いてるけど)

おかしなところは多分観点と構造の分解の仕方、テストの動機
、、全部?がおかしい。機能テストの罠に嵌っている。
「テスト観点」とは何か、テスト観点リストはどう使うのか| Qbook
今更だけどはっておくか。。

粒度を直せる気がしない。うーん。
このままで出したら怒られそうというか、自分が仕事でこれを出したら怒るレベルになってきた。
私はコンテストを愚弄している。

もう一回最初に戻れるなら、フィードバックを貰ってもなお、まったく碌なケースを作れない
大会を貶めるような成果物を出す人でも参加していいのか?と聴きたいかも。
でもそれは参加しなくていい言い訳を探すだけのただの自己保身だ。


観点、、目的か、、
通化して嬉しいというのは、ある箇所に対して何度もテストを考えなくていいことだと思う。
そこがキモなんだけれど、何をテストするのかで機能テストくらいしか共通化できないんじゃという所で狭まって、更に共通しているところしか考えないからものすごく狭くなるという。

機能テストの目的とはなんだろう。正常、、異常。。
暗黙のうちに粒度がぶれているのがよくわかる。細かく確認するか、しないか。
前提はどこまで書くか。

あー散らかってたら提出しなくていいですって言われたい(自己保身)
今はもうお盆期間なので辞退とかめんどくさいことをいうとめんどくさそうだ
なので最後までがんばるけど、多分最後までこんなかんじだ。。はやく22日に飛びたい。
ねますや

余命2週30秒

最近よく余命2分30秒という歌を聴いていて
生まれて8秒で無限の可能性が広がってよくある歌みたいだで1分45秒過ぎたりするあたりを
予選終わってから2ヵ月半無限の可能性が広がっててなんも終わらない今があったりすることに
なぞらえてしまう。
終わらなかったらしぬんかな。はは

今日は、一部だけ作っていた全体図の一部の部分の設計だか分析だかよくわからないところを作りきった。
この納得感が無い中何の網羅性もMECEもないものを作るのはなかなか精神にくる。
だったら納得感を・・という議論は、もはや無し。
今日はテスト条件と高位テストケースで嵌った。用語の定義に嵌るとダメだ。
決勝でここまでダメなものを作る人ているのか・・・という懸念も、もはや無し。

私は私の作るものを自分のコントロール下に置きたかったり
(たぶん受けるのが想像内のフィードバックであってほしいという暗黙の思いがある)
フィードバックをいただいたことに応えたかったりという思いがあっ
ったけど
精神的にも能力的にも諦めて時間を使うしか今はもうできない。

毎日手を変え品を変え愚痴を並べててて一体これが何のためになるのかとか思うが
将来同じようなことに取り組む人のためではまったく無く、
自分がただひどい状況でひどいものを作ってたということを後で振り返るためだけに
今は書いているんだなーと思います。ねますや

うは

今日の進捗:無し(クソワロ)
私の成果物は、どこを切ってもおかしなところが有る金太郎飴のような成果物だ(しかもそんなに完成していない)

私はもはや成果物の整合性について考えられていない。様々なものに目を通せなくなっている。
このコンテストの趣旨は、作ることを通して学び、成長することにあるのだと思うのだけれど
きちんと考え抜ける人だけが参加するべきなのだったら、今の私には参加する資格は無い。
あと物理的な時間は2週間。
志も無く、中途半端な自分が、申し込んでしまってごめんなさい。

こんなカスな設計書作って出して大丈夫なのか?カスメンタルだから出さないよりまし?何で申し込んでしまったのか

~z
今もカスを作っているわけですが、ふと正気に返るとこの小学生の作文を出して大丈夫なのか
これを提出するのはなめてるんじゃないのか?という気になってきます。
なら真面目に考えればいいのですが、、。。そうこうしているうちにもう無理だという気になり
これ提出出来ないな、まで落ちて、それならばゴミでも出さないよりましをループしてます(注:決勝です)
メンタル次第なところがある。
来年の人々には渡さないでほしい。。ぐぐぐ。
まだまだ続きます。きえたい。

確かにごんぎつねの葬式の話と語彙崩壊はあんまり関係がなかったようにみえるよふかしのうた

~・・
今日はテスト設計仕様書っぽい何かを作りました。
作りましたというより、予選から記述を削って削って削って・・・ゼロになるみたいな感じの削り方をしました。
決勝のお題に対応できない気がするけどどうしよう。出さないよりマシでいくのか。。

ごんぎつねの話、あの記事の論点が「語彙力が崩壊していると認識の仕方も崩壊するなあ」みたいな感じなら
そこにごんぎつねの葬式の話(の情緒性?)を持ち出すのは若干繋がってないのかもな、とも思いました。

ネマスヤヤヤ