私は迷いの中にいる

毎日眠気しかない謎の深海魚の一言日記

発信の敷居が高い人へ捧ぐ…大丈夫だ、問題ない(私もそう思っているから)

なんでこの記事を書こうとしたんだっけ…?

発信の敷居が高いと思っている度合いでは誰にも負けない自信がある私が、今までどんな感じで発信「しなかったか」を発信して(は??)
それを見てもらうことにより「発信の敷居が高いと思ってるの私だけじゃなかった!」→(^ω^)大丈夫だ、問題ない
になればいい(でも無理強いはしたくない)と思って書きます。

目的:発信が怖いと思っていることの共有をして発信の敷居を下げ、あわよくば潜在的に発信したいと思ってるならそれを後押しできれば
読む人想定:発信の敷居が高いと思っていて私のように下書きに貯める人(いるのか?)

発信しなかった、書いてもこっそりしていた理由を以下に羅列していきます。
パターン1、3は発信しなかった理由、パターン2は書いてもこっそりしていた理由です。

パターン1.書いているうちに自分の文に失望する

先日のJaSST Online Cloverで話していても強く感じました。無意識に文に対する理想が高すぎるというか。。
失望の内容を分解していくと

1.事実の羅列を書いているだけになる
2.月並みな感想になる
3.文が冗長すぎて辛くなってくる(何故簡潔に書けないのか)

この辺がつらみポイントです。どの原因でも挫折するのですがよく2で詰まって書くのを止めます。
私が初めて勉強的な?カンファレンスを聴講したのは2年前のJaSST Reviewが初めてだったのですが、感想書こうと思って書いて手が止まりましたね。。ほんとに。まとまらなすぎて

書くときに 初めて気づく 自分自身 文に対して 頭でっかち(謎テスター 心の俳句)

あとテスコンチュートリアルの感想も結構手が止まりました。結局書いたけれどこっそり公開しているに留めているかもしれません。
あとあと、そもそもJSTQBのALTMを各章で内容まとめよう!と思ったときも手が止まりました。
あとあとあと、wacateの略
あとあとあとあと、…(以下イテレーティブインクリメンタル)
…<゜)))彡…
先日のOSTで話したときはこの「結局色々考えて公開できない!」について皆さんから意見頂きました。
よく考えたら自分がブログ書けない、公開できないに対して十数人に意見もらうってありがたすぎにも程があるのでは。。、、
以下、青字は先日のOSTで頂いた意見です。

1.事実の羅列を書いているだけになる
・読む側としては断片的な情報や感想でも書いてもらえると助かる(調べるきっかけになる)
・自分の備忘録のために公開するのはメリットではないか

言われてみると「確かに」ということばかりです。
特に「読む側としては‥」。私も同じ体験をした人のブログ100回くらい見に行きますし(??・
自分の備忘録も言われてみればそうです。3年前とか何していたか木っ端みじんに忘れていますが、ブログに書いているとおお、そういえばそうだったと思い出せます。

2.月並みな感想になる
・何かしら書いてもらえたらそれだけで嬉しい
これを発信している人から直接聞くともう書かねば!という気になります。
でもいざ書いてみて、月並みなのでしょぼんとはします。これはパターン2に続く。

3.文が冗長すぎて辛くなってくる(何故簡潔に書けないのか)
・みじかく簡潔に、は考えたことがない
マインドマップ使う(解決案)
・いきなり簡潔に書くのは難しいから下書きで書きたいところを全部書いて、あとから書きたいところを切り取ったりする

リアタイでは全部「なるほど~」してました。
今だと思うことですが「きれいに分かりやすく書くこと」と「とりあえず発信してみる!」は
同時に目指さない方がいいんじゃないかという気がしてきました。目的が相反しているというか。
それこそ『完成度を気にしていたら永久に公開できない』ですね。
なので「公開できないのを後押しするぜ!」と「こうやったらまとめやすいんじゃ?」のアドバイス
それぞれ別々に受け止めようと思います。闇鍋やめよう。

パターン2.公開してこれを読んで誰かが傷ついたら、自分に失望したらと考える

(今まさに「文が冗長すぎて公開つら」と思っていますが続けます)
これは本当にしょっちゅう思っています。記事を書く数に対して公に「書いたよ!」をしている数が私は滅茶苦茶少ないです。
人にどう読まれるかが怖いのだと思います。例えばその人が読んでほしくない方向に自分が読んでいたら、とか
上辺だけ良いこと書いてるだけだなー、とか(これが多分私の思うところの「月並み」。自分が無理に良い方向に話をまとめようとしている時があるように思っています。
自分に対して自分が思っていることを書いているのですがこれが人に刺さるとか考えると怖いです)
あとは自分に失望されるのも怖いのかもしれません。
もしかしたら読む人に委ねるを出来ていないのかもなあ、と思います。今これをきれいにまとめたいなあと思う無理ポジ(無理やりポジティブ)な自分がいますが敢えてまとめない方向で。

この例の記事は以下です(今も怖いっちゃ怖いですが例として)
あなたの知らないQAチーム、QAエンジニアの世界を聞いた話 - 私は迷いの中にいる
なにもかもがわからなくて…2020冬 - 私は迷いの中にいる
「410 Gone」を読んだ感想(総括)に見せかけた自分の感情論 - 私は迷いの中にいる

怖くても何故書くか?その時思ったことはその時しか残しておけないからです。

パターン3.書いているうちにネタに対しての情熱が無くなる

これもしょっちゅうです。今記事を書いている理由はこれです。
この記事を書いている時点で「発信できない人の後押し」の方法に「発信できない側を語り尽くしたらなんかあるんじゃ?」と思っていますが
おそらく明日にはこの気持ちはそこまででもなくなり、日々に忙殺されていくのだと思います。
結構「まっいっか!」で書かなかったこと多いです。(パターン2のバッドエンドパターン)
「まっいっか!」…それは…発信を阻害し…違和感を見逃す魔法の言葉(意味深

これを公開して私はどうしたいのか…

発信が怖いのはあなた一人じゃないよ!を伝えたいのと露悪と半々くらいです。。
あとはアウトプットの話を聞いて自分の心がざわっとしたうちに自分のざわざわ部分を書き留めておこうとかも混じっていると思います。
無理ポジな自分:これを読んで「発信しづらいの自分だけじゃないのか、なら自分も発信してみるか」とか思う人がいれば…