テスト技法を身につけるなら第一線のテスト会社に入るのが最短。社外勉強会は「知った気」になるが、仕事ではない。金にならない。自己満足で終了。仕事だからこそ本気で身につけなければ話にならないって寸法よ。「好き好き大好きちょー愛してる」とか言ってるうちはあんまり成長しないんじゃないの。
— Mark Ward (@mkwrd) 2021年1月19日
勉強会が生きるのは、仕事に本気で打ち込んでいて、なおかつさらに新しいことを学び、自らのスキルを広げたい人だろうさ。勉強会に来て今の仕事場のグチとかあるあるを延々喋ってるのは、もちろん心地いいけど、目的がぶれぶれでは何にもなるまいて。帰社日と勉強会が同じ感じだと感じたら危険信号だ。
— Mark Ward (@mkwrd) 2021年1月19日
マークさんのこのツイートを読んで
「自分は当てはまるのではないかな」とか
マークさん発言の意図するところとかを考えていました。
意図をざっと考えると
・良い仕事をしたいなら良い会社に入ろう(という壮大なリクルート)
・勉強会に参加するだけで満足していちゃだめでしょ(それって手段の目的化ではないのか)
この辺かと推察。(100%妄想)
この発言のどこが自分に刺さるかを考えると
・第一線のテスト会社?
・仕事場のグチとかあるあるを延々喋って目的がブレブレ
この辺。刺さったところについて考えてみる。
第一線のテスト会社とは何だろう?
ここを考えるのは私は大変苦しいけれど
ヒエラルキーを考えないといけないんだと思う。
ちょっと深堀りして考えてみる。
テストの仕方は行き当たりばったり。
特に教育体制は無い。言われるがまま、戦略などがない。
たぶんこれは第一線じゃない。
手動テストしかしない
これは第一線じゃなさそうだけど、これだけを第一線じゃないというのが
第一線じゃないと思う。自動テスト>手動テスト、というヒエラルキーこそ安易で
目的に応じて手段を選べる、その理由を述べられることこそ第一線なのでは?
テスト以外のプロダクトや品質に包括的に携わっていない
これは仕事をする目的によってはヒエラルキーになりうる。
プロダクトを良くするために「テストの枠を飛び出して関わりたい」という視点で見れば
「品質・プロダクトに全体的に携わる>テスト(あるいはどこか一工程)しか携わらない」
というヒエラルキーは成り立つと思う。
枠を飛び出して関わることは手段が増えることに他ならない。
けれど、一部分だけ特化していることでも、結果として良いプロダクトを作ることに繋がるなら
それがテストであれ開発であれカスタマーであれ企画であれ、ヒエラルキーはないのでは?
私の話に戻ると、細かくはいえないけれどそんなに第一線ではないと思う。
でも、なんだろう。
現場の人の話を聞くと、ときとして本で読むよりはるかに明晰な判断・手段が出てくることがある。
一涯に「ここは第一線じゃないな」と切り捨てることができないというか
他人に対して「ここで私が学ぶことはもう無い」といえるほど、私は成熟していない。
(勉強会で)仕事場のグチとかあるあるを延々喋って目的がブレブレ
この面は私はあると思う。
あまり建設的な手段を提案できず、愚痴の共感に走ることがある。
勉強会に参加する目的とはなんだろう?
①技術を学ぶこと?
②人と話すこと?
③視野を広げること?
マークさんが言っていた「テスト技法を身に着けるなら」はおそらく①に掛かっている。
机上の空論で学ぶより現場でバシバシ使う会社に行った方がいい。
これは間違いないと思う。
私はどの目的で参加しているんだろう。
たぶん①~③が入り混じっている。
ただ、①がもし「技術を活かす」ならば、マークさんの言う通りかもしれないと思う。
私がAutifyの使い方を学んで明日から使えるかというとそれは無いので。
③の割合はあるけれど、①をできていないことに対する言い訳になっている気もする。
マークさんは・・・
①のふりをして参加すること自体で自己満足してんじゃないよ!と言いたかったのかな。
私は、去年色々な勉強会に参加してみて、資格を勉強して、では実際現場に活かせているか?というと
正直そこまで活かせていないと思う。
また、自分の言葉で感想を書いてみると最もらしいことを並べているだけになって
これは思いのほか身についていないなあと痛感したりもした。
この状態でインプットしてもちょっとどうにもならんな、という思いがあり
今年はあまり何かを聞きに行っていない。
自分がそれを活かせる自信がないから。
実際に活かせなければ、自己満足になってしまうなら、勉強会に行かないほうがいいのか?
逆に考えてみる。これは否だと思う。
「実際に活かせる」は未来のことなので確定できない。
確定できないことに対して現在の行動を狭めていくのならば、そこから身動きが取れなくなる。
それは自分を今よりも成長させたいと考えるならば良い選択ではない。
変化無くして成長は無いので。
例え今活かせなくても、自己満足でも、そこで学んだことがどこか思いもよらないことで
繋がる可能性があるならば、その可能性を拾っていくのは「アリ」なのではないか。
そんなことを考えるのでした。
というかこの考え方は↓のツイートの受け売り
今は使わない知識でも、この先思わぬ時に役に立ったりするので、楽しんで学べるならそれが一番だと思います!例えばソフトウェアエンジニアなら応用情報技術者試験ぐらいは合格しておいてほしいけど、その先は自分が情熱をもって打ち込めることに取り組んでほしいなと思ってます。
— ぱと (@pato_taityo) 2019年10月14日
おわりに
私が掲題のツイートに「ぐさっ」と来てしまうのは勉強会云々よりお仕事をうまくできている
自信が無いからなのだろうと思うので、こんな記事を夜中まで書かずに早く寝て
明日をめいっぱいがんばろう。そうしよう
1/23追記
極めて個人的、自分にのみ刺したい話で
上に書いたことも思う反面、いつまでも
「学んだことを生かせない」環境に居続ける自分は甘えているという自覚がある。
リスクを取らずに机上の空論だけ奮う自分はあまり好きではない。
勉強することをリスクを取らないのとの保険にしている感が自分のどこかにあって
そこを刺されたなあと思ったのかもしれない。
(この追記はポジでは終わらないのであった。結論が出ていないため)