私は迷いの中にいる

毎日眠気しかない謎の深海魚の一言日記

学ぶものへの呼び戻し


一応PCを開いた。
後は流しでプレゼンを読んで(練習ともいえない)、誤字を洗い出して
成果物を1ページだけ開いた。

理想を言うなら、向かい合うと苦しくなる対象から向かい合うとたのしー!(^▽^対象にシフトしたかったんだけど。。(;^A^
この先普通に向かい合えるように戻るのかも不明。あとたった3日。。。

今の自分の場合、目標とか作業に落とし込まなきゃとか思っている時は大体何もできなくなる。
それを100も踏まえた上で、明日やりたいことを明日の自分への呪いとして書いておく。
・PCを開く
・暗い顔をしないで最後まで棒読みじゃなく噛んでも発表している風にする練習
・誤字を直す
・成果物に向き合うと吐きそうになるのを直す(?
・成果物の内容を頭に入れた上で質疑を考える
・ひたすら音読(内容への拒絶感を和らげるため)

ほんとにPCを開くから始めないといけない。
私は、はっきりいって誰かに言われて始めた、というのがあまりない。テスコンも多分自分でかなり考えて選んで始めたはず。
それなのにこういう状態に相転移していくのは失敗に弱いんだなあと思う。

17日がどうなるかはおいといて、月末くらいにはこの状態が寛解しているといいな。
ねますや

必然性とは

泣いても笑ってもあと5日いや4日

PC開く開くと言いながら全く開かずに過ごしてました。ひえー
まずは開くと具合が悪くなるのを克服、、できない!気持ちの呪縛は大きい。
今日はとりあえず一応プレゼンを読んでみました。予選と同じ時間配分であるなら多少早口で読むと時間に収まる。
あとはスライドの画面表示の仕方を完全に忘れていたのでそこは確認できてよかった。
zoomも一応最新に更新したはず。(ログインしなさ過ぎてパスワード忘れてました)

あとはおびただしい誤字の修正と8月22日以来もはや見るのがきつくて見られなくなってしまった成果物の確認(質疑応答ちゃんとできるように)かな。。
誤字修正がんばろう。

もうすぐJCSQEの申込が終わってしまう(9/20までのはず)ですが、申し込み…どうしよう。
今の時点で全く何も始めていないのがなんとも。去年いつ頃始めたのだっけ?9/1…?…

こういう記録が残る媒体に自分が考えるネガティブな事を書くのは良くないと思うけれど、私は何かをする必然性を腹落ちしていないのだと思う。
コードを書くのが仕事な人がコードを知っていることは必然性があると思う。
本来、私のような仕事をしている人はテストの知識、品質の知識をそのレベルで必然とするのが理想。
しかし「理想」という言葉の通り、実際は必ずしもそうでないところが多いというか
知識の必要度、品質の認識のあり方それの程度が場所によって画一化されていないと感じます。
重視していないわけではないけれど、優先度がバラバラ。
必須の知識があるかどうかを考える上で、例えばJSTQBを持っていないと仕事できないか?
私がテスコンで失敗しても、資格を受験しなくても、それがこの仕事全部出来ないということに繋がるか?
これらの答えがNoで、ここが必然性を腹落ち出来ない部分なのだと思っています。
いや、仕事できないかな?うーん?、、???
うまく言えないけれど、べき論と必須であることの間にある隔たりを感じているのです。

こんな状態でも締め切りはくるので決断はしなければならず、そしてテスコンの本番は来るのでした。
会社から言われたから取るよーとかで行けた方がよっぽどよかったな。。あるいは就職だー仕事だーに有利だー(^▽^とか適当に思えたりすればよかった。、、、はぁ。
ねますやすや

これからのことについて考えよう

~テスコンはどうしたか
出来はともかくとして提出しました。

~今までどうしていたか
成果物を作成していたPCを開かなかった。

~これからどうしたらいいか
まず17日に発表があるのは確定なので、プレゼンの練習を始める。
始めるためにはPCを開く。(今日は開くことが出来たので目標達成)
成果物はともかくとして17日を乗り切るのが第一目標。
でもどうしても無理そうだったらちゃんと言うこと。

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以下はメンタルの話でありテクニカルの話ではありません。
私が取り組んでいた何かを開催される方々とそれの志は素晴らしくそれらを貶める意図は全くありません。

ただ、私自身があまり向かなかったかもしれないというのがあります。
提出日の少し前から、向かい合わなければいけない時間になると無理になってしまうことが多くなり、提出日を過ぎてからもそんな感じでした。
考えることが辛くなってしまった日が多かったです。楽しめなくて、素晴らしいものを作れなくてすみませんみたいな。。

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以下はメンタルを抜きにしてどうすれば良かったか。
7~8月あたりで何度もどうすればいいかを分析してできなかったのですが
完成度より完成させることを重視させた方が良かったなあと思います。
今考えると自分は終わりをきちんと描き切れていなかったかなあと。
終わりが「~したい」レベルのふんわりな想像に留まっていたから苦労したのかもなと思います。
出来たものの検証も足りず、とりあえず言いっぱなしな成果物を作ってしまった。

自分が実施しているのが今どこのプロセスなのかというプロセスの呪縛もきつかった。
いたるところで「これでいいのか?」に嵌り込みました。

あとはこれは分かっていたことですが誰にも相談しないのがまずかったとは思います。
自分のおかしなところを見つけてもらうのは他人に相談するのが一番なのですが。。まあ、色々ありますよね。


資格試験でここまで無理になることはあまりなかった(と思う)ので何がこんなに苦しかったかなと分析します。
端的には自分の成果物を人に見られるのが怖かったのだと思います。略して人が怖い。
試験は採点する側はクローズで、採点する人もその過程も見えない。
対して、テスコンは、自分の作ったものを見せて、紹介して、人にフィードバックを貰う。その「見せる」「跳ね返ってくる」過程が本当に怖くてたまらなかったです。
怖さを更に分解しておきます。
私は多分、技術に関わるのにマインドやスキルについて暗黙的な資格が要るのだと思っていて「誰でも」だとは感じていない。
自分はその資格は無いと思っていて、それが成果物作成を通して明らかになるのが怖かったのだと思います。ただ取り繕っているだけが明らかになることが。
更に言うとこの程度の知識で仕事しているのが知られるのも怖かったかもしれません。


この劣等感に満ちた文を公開するのか(読んでもあんまり気持ちのいいものでもないし)悩みました。
でもここを明らかにしておかないと自分がずっと苦しいままになってしまって何もできなくなるなと思ったので現時点の自分の気持ちとして残しておきます。
書いたら少しすっきりしたのでプレゼン棒読みでもしてみようかな・・明日もPCを開くのが目標です。

出さない神レポより出すゴミレポ

ずっと見直し

昨日と一昨日はずっとうつで何もできず、今日はひたすら提出用に見直ししていました
文も成果物も何もかもおかしく、コンテストを愚弄している感は否めないが、、
多分もう見直してもこれ以上良くはならないので明日えいやっと出すと思います。
ほんとにテクニカルでもなんでもなかったなあ。。うーん

どのくらいから鬱屈として手つかずになってきたかというと6月末くらいにはすでにそうで8月はほとんど何もできなかった。
多分、次に活かすとか反省があるならテクニカル以前にメンタルの維持。
次に生まれ変わるなら人に向けて表に出すところが前向きな人に生まれ変わりたい。とりあえずねます(;;)/~

はは・・・

自分の文を直視するのもつらくなってきた
と書こうと思ったらもうだいぶ前からそう書いているという・・・

もはや残り時間のメンタル次第だと思う。
躁転すればいけるだろうし、今日のようなメンタルであれば、、、メンタルは運。
あとは自分のめんどくさくなる方向が、とりあえず出すのとそうでないのとをどちらを重くとるか。

ねますや

聞かない力 具現化の力

^^ー^^

ここにきて完全にスランプになってきた(あと4日なのに)
実装の様に無理やり作業に落とし込んで向き合うのも辛いけれど
見直して整合性を取るのは作業に落とし込めなさ過ぎてそれがめちゃくちゃ辛いというかできない。

おかしいところを何度も出そうとしているのは、「何がおかしいか」を突き止めて「どうすればいい」という作業にしたいからなのだけど
その「おかしい」と「どうすれば」のどちらかというと「どうすれば」の辺りがとっ散らかっている気がしてならない。

今、自分は殆どちゃんとした資料を読めない状態になってしまっているのだけれど
テスコンの審査コメントを久々に少し開いた。
色々書いてあることはあれど、概ね「とりあえず最後まで作ってみる」が書いてあることだと思った。
完成度とかのコメントはあまりない。多分完成度に囚われているのは自分だけなのだと思う。
出さない神レポートより出すゴミレポ・・

どんなに不完全なものでも(注:決勝です)具現化しなければどこをどうすればいいかの話を始めることができない。
頭の中にすごく「こうすればよかった」を思い浮かべて、でもそれを頭の中から取り出せなければ、それは作れなかったことと同じ。
破綻していても、ほころびがあっても、決勝にふさわしくなくても、まず形にしないといけない。
決勝にこんな気持ちで向かう人はいなかったとしても。

今の私に必要な力は、具現化しきることであって「悩んでいる」「破綻している」と自己弁護を重ねまくることじゃない。
ほんとうは色んなことを聞いてそれを取り入れられればよかった。けれど、それを取り入れられるものを作れないから出さない、は
多分破綻しているものを出すよりだめなのだと。だめというか。。

もしコンテストの意図のクオリティに達していなくて発表するべきではないのだったらきっとそれは出した後に判断してもらえる。
自分がそれを勝手に判断して出さないという選択肢をする方が(注:決勝です)、、うーん、、同じことを繰り返している・・

予選で出した「要求-要件」の資料を見直した。
結局画面にしろ、要求にしろ、プロダクトをどういう単位でまとめてどういう意図でテストをまとめるかという、まとめ方にすぎないんだなあと。
まとめ方をどう料理するか、料理してあまり料理できないのだったら捨てるかを考えるんだろうなあと。。
寿司の発表すごかったなあ。私も生まれ変わったらあんな風な世界観を持っていきたい。
ねますや

レペゼン破綻

■向き合うのが辛いって一番だめなのではないだろうか
今日はプレゼンの見直しをして中断。
私は見ていて辛いものから目を背けている。この向かい合わないところが有る限り永遠にだめなのではないだろうか。。
何度目か分からない辛みの分解をすると、テストを作る動機付けの所まではそんなに辛くなくて

・共通している画面の洗い出しが本当にそんなに影響分析をスムーズにすることになるのか(共通している画面の抜け漏れを防ぐだけの影響分析しかできていないのではとか)
・テスト観点の出し方の破綻
・やりたいことの途中で論理飛躍が起きている気がする(上記の影響分析のところ)
アーキテクチャ改善まで追い付いていない
・自動化に向く実装とメンテナンスビリティの向上のところがふんわりしすぎてて繋がっているのか繋がっていないのかわからない
・テスト実装の破綻
・全部

改善点提示とその説明、その手段のところ、要するに全部が辛い。
やりたいことさえ見失わなければ何とでもなると思ったのも遠い昔で、破綻してても理由が無くても
その理由がないところを理由が無いと説明しなければいけないところにきている。

どうなればうれしいんだろう。
絵にかいたきれいなテストケースができればうれしかったのか
絵にかいたきれいなプレゼンができればうれしかったのか。

一番はこんなことをうじうじ言わないで向かい合うことが辛くならなければ良かったのかもしれないなと思う。
出来とかよりそこかもしれない。ねますや