私は迷いの中にいる

毎日眠気しかない謎の深海魚の一言日記

少しずつ少しずつ

Python

相変わらずおさらいでpandasの基礎から。

SeriesとDataFrameが何たるかと、

DataFrameの先頭、末尾出力、列名つけたり行名つけたりとか

結構基礎のところをやっています。進んでいるとも手に馴染んでいるとも

言い難いですが、ほんと少しずつですよ。。

 

明日はIPAの試験の締め切りなのですが、私は今回見送ります。

まずは、今のPythonの勉強を自分ができるところまでやり切ってから

次に進みたいと思っています。

思うように進んでいるとは言い難いのですが、やっぱり立ち戻るところは

いきなりはすごくはなれないというところなので、ポツポツとやっていきます。

最初に目指したところまではいけなくても。

 

他人にとって簡単だったりすることができないことに幻滅したり

勉強する習慣が続かないことに幻滅したり、自分はダメだなあと思うことが多い。

ですが、うーん。何ですかね?自分をダメだって思うのは

ダメじゃない自分に期待されて失望されるのが怖いという自己防衛本能とかも

あるのかなあと思っていて、もしそんな自分に外側から他人として何か言うのならば

「ありのままで良いのだよ」かな、そんなに責めなくても良いというか。

 

自分が選んで、今できる範囲で考えて生きていればそれでいいのだと

今私が悩んでいるようなこと(他の人が頑張れることができないとか、頑張れないとか)

で他人が悩んでいたら、そう言うと思います。ねますやすや

手に馴染ませるとはサブリミナルと同義なのではないか

Python

今日でNumpyの復讐が終わった!(誤字とは

ドット積はやるたびなんだっけ?になるけれど、何だっけになるということは

行列の掛け算を忘れているということで、行列の掛け算を忘れるということは

状態遷移表のNほにゃカバレッジの出し方を忘れているのではないだろうか・・

この頭に入っているのか入っていないのか謎なPythonですが

それでもPython知らなかった頃に比べれば型の種類くらいは手に馴染んでいるわけで

いつの日か今日学んでいる内容もそうなるのだろうか・・

人の覚える力は不思議だ。寝ますやすや

「あるべき」に縛られていないか?

Python

今日も復習復習。

グリッドデータの生成や均等割は実際には使い道ものすごく多そうですが

関数だけ見ているととっつきづらいというzzz

今、思い出すためや覚えるためにNumpyの内容を復習しているのですが

もしかしてこんなやり方じゃなくてひたすら写経とかした方が

いいのかもしれない。。

勉強も仕事もそうなのですが、そうやるのが慣れていて変えないことに固執するあまり

ずっと非効率な手段を選んでいる気がしてならない。

続けて苦痛になる惰性ならそれは捨てた方がいいのになあ。

ずっと先が見えなくても何か手を動かしていればと思っていたけれど

もしかしたら何を為したいかを考えて今一度手段はこれでいいんかな?を振り返った方が

いい気がしてきたねますやーー

たとえ全て忘れる日が来ても、ravelが参照でflattenがコピーなことだけは忘れない

Python

引き続きNumpyの復習。

基礎基礎なところをやっていると理解でつまづかないので

挫折しにくいようなことに気づいた。

いつの日も少しづつやってくしかないことだけは間違いない。

タイトルのravelとflattenはNumpyの配列次元数を1次元に変換するメソッドなのですが

3回くらい反復して学んでいるので、多分これだけは忘れないだろうなあと思います。

反復と少しづつ、これがキーワードなのでしょうね、、寝ますやあ

あれは今から36万……。いや、1万4千年前だったか

■久しぶりなんてもんじゃないPython

約1カ月さぼっていたのでNumpyのおさらいから…

何もかも忘れているに等しいけど、地道にやるしか、、!

reshapeとかの辺りを見るのも3回目ですよ…

Pandasは型の話あたりから吹っ飛んでいる気がするので

ぼちぼちやります

 

■7月は何をしていたか

ぼーっと日常を過ごしたり仕事が忙しかったり

Jasst北海道(オンライン)を聞いたりしていました。

 

■Jasst北海道どうだったっけ

探索的テストの話が印象に残っています。

記述式テストで品質を保証できるとはかぎらず

バグに着目するのならば記述的テストより探索的テストの方が見つかる

ならば論理的に解くことにこだわりすぎず探索的テストを活用していけばどうか?

というお話、、

これを聞いていた頃は、まあ記述式テストじゃひっかけられないところを探索でひっかけて

相互補完でいいよねハハッくらいに思っていたのですが

時が流れてまさに記述でひっかけられない網にぶち当たる場面がありました。

今Jasstのメモを見て愕然としていますね。

そう、記述式のテストでいくら探索的テストで見つけるところを引っ掛けようとしても

視点が違うから無理ゲーなんですね。。

記述は視点を絞る、探索は視点を広げる。

だから、記述で全部拾えるという幻想には縋らないようにしなければば。

 

■その他7月の暮らし

コロナの状況が6月とは段階が変わったかな?と思います。(感染状況が広がっている?的な意味で)

段階は変わったけれど、暮らしは変わっていないよという。

暮らしは変わっていないけれど、なんですかね、多分この薄ら

何かを制限されているのかもしれないという状況に滅入っている部分はあるのかもしれません。

マスクはよく見かけるようになりましたねー。

そして7月はとても涼しかったです。晴れた日があまりなかったのかも

 

■これから

明日のことはわからないけれど、本調子じゃない中でも何とかやっていければなあ

なんて思います。

また1カ月さぼったりする日もあるかもしれないし、ぼちぼち続くかもしれない。

未来はわからないですがねますやすやー

いつ立ち去ってもいい場所

Python

毎日ちょっとずつしか進められなくて悲しいですが

今日はPandasのCSVEXCEL・HTMLの読み込み、書き出し。

pd.read_ほんちゃら〜("ファイルパス")が読み込みで

読み込んだオブジェクト.to_ほんちゃら〜("ファイルパス")が書き出し。

HTMLを読み込むのはなんかライブラリに依存関係があったような(???)

何となく想定している動作は、予めあるデータを読み込んで

Pythonに退屈なことをやらせて、Pythonでなんだかんだしたデータを

方眼紙の闇に書き出すとかなのですかね?私はまだまだ実務にpandasをどう使うかの

イメージがつきません。

 

■明日はじゃすと

オフラインだったら絶対聴けなかったじゃすと北海道。

お話の内容も探索的テスト、改善、欠陥情報からのテスト作成、自動テストと

聞いてみたい内容満載なので楽しみです。

オンラインであることで、参加しやすくなったのはありますね、、

 

反面、どことなく自分は場違いなのではないか?という感覚があります。

自分はこの話を聞くに値するのかな?みたいな。。

その度に「今は使わなくても思わぬところで役に立つ事がある」という言葉を思い出し、

自分の視野を狭めないようにしなければと考え直します。

 

うーん。

だとしたら私は学んで何になりたいのか。

今の位置でずっと話だけ聞いて、学んでいるふりをしたい何かになっているんじゃないのか。

コンフォートゾーンで学ぶふりだけするみたいな。。

こんなことを考えるのすら、考えるふりをしているだけなのではないか、とか。

 

テストマネージャに合格したとき、いやいや私何も解ってないしダメでしょこれ

と思ったのは嘘じゃないのに、じゃあどこに向かいたいかで迷子になる。

でも、迷子になっていることで立ち止まっては何もできない。ぐえー

Select ど素人 FROM テスター

Python

今日はDataFrame型の抽出の仕方をオベンキョしました。

インデックスで指定する方法と、locメソッド、ilocメソッドで指定する方法。

locは名前で指定できて、ilocは番号で

どちらもスライスは使えるzzz眠い・・

 

IPAの試験は10月18日か・・・

応用情報受けたいけどどうしよう。

というかPythonがちょっと勉強ふざけすぎているような。

 

割と色々な要因が重なって本調子じゃない事が多いです。

そういうときに何日も何もしない日々が続いてしまう。

その状況が自分でもあまり幸せではないので、

できれば、気力や信頼とか、そういう根性チックというか

目に見えないものに頼るスタイルをやめたい。

歯磨きとか風呂くらい自然に勉強も習慣になればいいのにと思う。

思えば私はこの3年くらいやけくそと惰性だけで何とかしている気がする。

自分が辛くならない答えを見つけたいところです。

まず、勉強することは自分にとって幸せなのかな?からかな。

なぜ勉強しているのか、それによって何を解決したいか。

寝ますややや